実際の生活の中でも
本当は違うことのおかげなのに、見かけの成果で騙されている例は結構多くある。
例えば、クラスの中での「いじめ」をなくそうと思って、勇気を振り絞って、第一歩の行動とった生徒がいたとする。
そこから派生して他の生徒もいじめをなくす行動を少し取る。
最後の方で、目立ちたがりの生徒が、先生に話をして、いじめ問題が発覚し解決することがあったりする。
先生は最後の生徒を褒める。確かにみんなの協力でなったはずなのに、最後の生徒のおかげになることがある。
ネット広告をコンサルしていると
PPC広告(ネット広告)のコンサルで、広告運用をやっています。
そこで、コンバージョンの成果を上げているキーワードがあるのだが、実は違うキーワードが最初にカスタマーにアピールをしていて、そこからカスタマーが色々と考えて、さらに検索した最終キーワードがコンバージョンにカウントされると言うことがよくあります。
例えばぼんやりと自分の興味のある趣味のブログを見ていたら、そこにイメージ広告のバナーがある。
そのバナーをクリックする。HPサイトに訪れてその後にリマーケット広告が追いかける。
「あーこういう商品があるんだなぁ」と思って、そのキーワードを再検索する。
なるほどそれではもう少し詳しく調べてみようかとなり、複合語でさらに絞ったキーワードで検索。
最終的にはその絞ったキーワード検索の際に、「あーまたこの際サイトがあるな」と感じて、そこから商品を購入する。
そうするとGoogleのアナリティックスは、最終的にコンバージョンの上がったクリニックを成果とする。
もちろん詳しく分析するとアナリティクスには、アシスト機能というのがあるので、もう少し詳しくわかるのだが、最終的に成果があげたキャンペンキーワードがその成績として見える。実は最初の訪問のきっかけを作ったのは、最初のバナー広告なのだが、成果は違う物になるのである。
本当は違う事のおかげ
正確に言うと、本当の事は「直接要因のおかげ」だけでなく、「他の事のおかげでもある」のである。
影に隠れているおかげにいかに気づき、感謝できるか。
「ありがとう」と言った後で、影のありがとうの存在に気づく自分でありたい。これは自分でも出来ていないことが多いので、心がけていきたいものである。
TOCでいう部分最適と全体最適
ちょっと話をTOCに持っていきます。
TOC(制約理論)には、部分最適と全体最適という言葉がある。
部分部分のそれぞれの効率化や段取り、システム化を最適にすることが「部分最適」
全体を見渡して、制約になっている(ボトルネック)に集中して、全体を最適化することを「全体最適」
全体最適を行うことで、成果が上がった時、何が成果を上げた原因でしょうか?
ボトルネック?手伝った周り?
違いますよね。一部分のおかげではないはず。
成果を落としているのも、成果をあげているのも
成果を落としているのは「ボトルネック」のせいではない。
成果を上げたのも「ボトルネック」のおかげでもない。
全て、全体の仕事の流れを俯瞰して、「全体最適」を行う集団のおかげである。
「ボトルネック」を生み出しているのも「全体最適」不十分のせいである。
目の前で見える現象が、全ての本当のことを物語っている訳ではないのである。
TOCって何?
疑問を感じた人は、ちょっと私たちがやっている「たくらみ屋」をのぞいてみて下さい。